「障害があっても、俺たちは音楽で生きていく。そう言ったら、みんなが笑った。できっこないって…。冗談じゃないぜー」-。 神奈川県内の障害者バンド「サルサガムテープ」を率いて18年になるミュージシャンのかしわ哲さん(62)。 今月11日、福岡市少年科学文化会館のステージでこう叫んだ。 サルサガムテープは故忌野清志郎さんと共作CDを発売したり、パリで街頭ライブを成功させたりと、全国に増えつつある障害者バンドの先頭を走る。 かしわさんに、なぜ障害者がロックなのか、聞いてみた。 -結成のきっかけは。 「僕はNHKの5代目うたのおにいさんだったので、全国をファミリーコンサートで回った。一番ノリのいい客が知的障害のあるお子さんだった。だが、彼らが跳びはねたり大声を上げたりしようとすると、大人は押さえ付けてしまう。それはおかしいとの思いが高じて、神奈川県の施設で押しかけボランティアとして、知的障害者とリズムセッションを始めた。リズムは人間が根源的に持っているもの。精神の解放につながると考えたからだ」 -バンド結成には苦労が伴ったのでは。 「メンバーの障害はダウン症、自閉症などさまざま。最初はみんな自由に振る舞うことに慣れていなくて戸惑った。心の赴くまま振る舞えば、問題行動と見なされるからだ。少しくらい周囲とずれてもいいよ。みんな好きにやっていいんだよ。そう分かってもらうのにすごく時間がかかった」 -彼らに感謝していることがあるそうだが。 「僕が初めて感じた胸の高鳴りを呼び起こしてくれた。少年時代に出会ったローリング・ストーンズ。初めて手にしたギター。メンバーが鳴らすビートは、僕の大切な出発点を思い出させてくれる」 -バンド名のサルサガムテープとは。 「最初に、プラスチックのバケツに粘着テープを貼って即席の太鼓を作った。その太鼓で南米のリズムのサルサをやっていたからそのままバンド名にした」 -ステージを見てダイナミックさと一体感に驚いた。わずかに動く片脚だけで音を鳴らす男性もいた。 「彼は19歳で、今年4月に入った。車椅子に乗って左脚でキックペダルを踏んでリズムを出す。彼ほどロックしているやつはいない。ロックをやりたい思いが全身から伝わってくる」 -昨年4月、神奈川県に「NPO法人ハイテンション」を立ち上げた。 「福祉事業所として、障害者向けの生活介護と放課後などデイサービスを提供している。体操をしたり、音楽やアートを楽しんだり。バンドのメンバーも毎日通ってきて、練習している」 -メンバーは皆、プロミュージシャンというが。 「それがバンドの目的だったから。少額だが、ギャラも配る。障害者の中にも自分はロックをやるのが一番幸せという人がいる。砂漠の中で水を求めるような人たちだ。何でこの人たちが『ばかなことはやめとけ』とそしられ、施設に閉じ込められなければいけないのか。そんな冷笑に対する怒りが僕の活動の原点だ」 -それにしても、さまざまな障害のある人たちを連れて、時には海外まで公演に出向くのは大変では。 「バンドの障害者は15人。飛行機に乗るだけでも一大事。スタッフ9人が総掛かりで移動の補助や介護にあたる。夜は不安で眠れない人の肩を寝入るまでたたく。一緒にステージまでやると、本当にくたくただ。それでも、活動で自信をつけて入所施設から自立する人も出てきた。彼らのためにもやり続けたい」 -今後の目標は。 「ロックをしたい障害者が、割り箸の袋詰めでなく思い通りにロックができる世の中にしたい。バンドとしては、いつかストーンズの前座を務めることかな」 × × ●記者ノート 後ろで支える親たち サルサガムテープの福岡公演を支えた一人が、福岡市自閉症協会会長の小柳浩一さん(59)だ。 28年前、福岡市で生まれた長男が重度の自閉症だった。 病院や施設を訪ね歩いたが、有効な治療法はない。 会社でのキャリアは諦め、出身地でもあった福岡にとどまった。 「3歳下の次男が、知らないうちに箸が使えるようになっていてびっくりした。そのくらい、全てが長男優先の生活でした」 障害者支援を通じてかしわさんと知り合い、20年来の友人となった。 「人間にはバリアーなんてない」。 バンドの熱いメッセージを伝えようと福岡への招致を始め、今回が3度目の福岡公演だった。 人には必ず親がいる(いた)。 わが子が苦難を抱えたら、髪振り乱して駆けずり回り、後ろから支えようとする。 かしわさんも小柳さんも、そんな「親」たちだ。 http://nishinippon.co.jp/nnp/lifestyle/topics/20121122/20121122_0002.shtml
|
||
毎日新聞 2012年11月10日 地方版 ◇特別支援学校も初めて参加学校をもり立てる活動をしている全国の「おやじの会」が交流する「全国おやじサミット」が3日、札幌市で約350人が参加して開かれた。10回目を迎えた今回は、初めて特別支援学校の組織も参加。地域とのつながりやいじめ、子供のトラブル防止などの七つの分科会が開かれ、とかく子育ては母親任せで、存在感の薄い「おやじ」の出番を考えた。【千々部一好】 □■存在感を サミットは高松市で03年に初めて開かれ、全国組織「日本おやじの会」(京都市)の加盟団体が毎年持ち回りで開催。これまで京都や広島、熊本市などで開かれ、東日本では初めて。自然体験活動や夏祭り、子供の安全を図る夜のパトロールなど、各地の団体が日ごろ取り組んでいる活動が報告され、参加者の情報交換や交流を図ってきた。 札幌サミットでは、実行委員長の森田圭三・札幌清田高PTA会長が「児童虐待やいじめが増え続けるなか、生きることやコミュニケーションの大切さをおやじの立場で子供たちに伝える必要がある。サミットで交流して活動をもり上げましょう」とあいさつした。 □■活動報告 今回初めて参加した特別支援学校の分科会では道内と福岡市で活動するメンバーが報告した。 道内では道立特別支援学校58校の約3分の2で「おやじの会」が結成されているといい、03年には特別支援学校の全道サミットを開くなど、活動が活発。真駒内養護学校では夏祭りを開くほか、年に2、3回、子供たちに外遊びの楽しさを教える「車椅子サッカー」やダンス、雪遊びなどの機会を設けている。天沼宇雄会長は「夏祭りには地域の人たちも参加し、雪遊びは地元の高校生が雪山づくりを手伝ってくれる。養護学校は地域から異質感を持たれるケースもあるが、地域との絆づくりにつながっている」と活動の大切さを訴えた。 また、網走養護学校の阿部有市・前会長は毎年、バザーやイモ掘りなどをしながら、父親同士が酒をくみ交わして親交を深めていると紹介。「懇親会で帰宅が午前様になることが多く、女房から『そんな暇があるなら子供の面倒をみなさい』と小言を受ける」と話すと、会場からどっと笑いが起きた。 □■好きな時に 「おやじの会」は、東京・中野富士見中で86年に起きたいじめ事件などをきっかけに80年代に全国に広がったが、あくまで任意の団体で、設立状況は学校によってまちまち。札幌市では小学校の約60%、中学校の5%にあるというが、「どんな活動をしたら良いか分からない」との声やメンバーの先細りの問題など、課題も多い。 札幌市内の連絡組織「札幌おやじネットワーク」の今井基義代表は「PTAは組織がしっかりして敷居が高いところもあるが、おやじの会は好きな時に参加すればいい。PTA活動を補完しながら、みんなで楽しんでやれることを考えていけばいい」と話す。
http://mainichi.jp/area/hokkaido/news/20121110ddlk01100281000c.html |
||||
|
応援して下さい!
|
|||
三男坊、サクラ咲きました。 厳しい戦いだったけれども、よくやった!!
長男坊、都道府県別の発明展で○○賞を戴きました。 次は全国展に進出です。 夏中ずーっと、制作で苦しんで、作品提出〆切の最後の追い込みの時にインフルエンザにかかって、もう駄目かと思ったのに、よく頑張ったね~☆
とにかく、二人ともおめでとう!
次男坊、君もこのグタグタの騒ぎの中、よく付いてきてくれたよ。 何よりも、それが一番助かったよ。
ありがとう、三人とも!
そして、陰に日向に応援して下さった皆さん、ありがとうございます。 何とか、ここまで頑張ってこられたのも、皆さんのお陰です。 きっと、これから、幼稚園のことでも色々と問題が噴出してくると思います。 でも、今日のこの喜びと安堵を忘れずに、マイペースにやっていこうと思います。
応援して下さい。 皆様のことも応援しています。 来週も前向きな気持ちで乗り切っていきましょう! 今日は久々にビールが美味しいぞぉ~☆ |
||
昨夜から三男坊、39度の熱。 どうする我が家!? 大ピンチ!!
次男坊も体調悪し・・・。 でも、ごめん!今日だけは頑張って放課後施設へ行って! 午後から入園試験だから、君の面倒を見れる人がいないの・・・。 試験が終わり次第、迎えに飛んでいくから!
長男坊!君ねぇ・・・。 あれほど手洗いうがいを五月蠅く言っていたのに・・・。 日曜日から熱を出したのは・・・。アウチっ!痛いよ、母は・・。
うぉぉお!何とか今日を無事切り抜けたいっ! 駄目か!駄目なの?
最後の最後まで諦めないモンッ!
応援して下さい! 皆様のことも応援しています! 今日も一日、前向きに健闘致しましょう!
|
||
ご無沙汰いたしております、本の案内人です。 いやもう、本当に長~いことBlogを放置プレイしておりますです、ハイ。 この間、『今日はどうかな?』なんて時々覘きに来て下さっていた皆様、本当にありがとうございます。
皆様のお察しのとおり、いろいろございました。 長男・次男・三男揃って色々、色々、色々・・・。 まぁ、よくもこんなにネタが尽きないものだと思うくらい。
そして、かの時期に(ええ、連日中国ネタ満載だった時期にです)相方中国出張なんていうイベントがあったりして、なかなかスリリングな毎日でした。 『仕事って容赦ないよね。』なんて言いながら、しっかり保険をかけておいた容赦ない鬼嫁は私です。(笑)
Blogをお休みしていた間に、いったいいくつ長男の研究コンテストの〆切や、三兄弟の検査、短期集中療育があったんだろう・・・?ってな感じです。
因みに、今日の消印有効〆切の科学系コンテスト応募作品(長男坊応募)を先程投函してきたところです。
先週末は某所で行われている発明くふう展の二次審査でした。 こちらは、視覚優位の次男坊の為に、長男坊が作ってあげた作品が一次審査を突破した結果です。 さて、どこまで食い込めるか・・・。
明日は三男坊の幼稚園受験です。 色々とあって保育園を辞めました。 次男坊の時にどうしても寄り添ってはいただけなかった担任先生と、今回も上手くいかず(奇しくも三男坊担任になりました)、一大決心で7月末に退園しました。 在宅とはいえ、仕事をしながらで、しかも夏休みに突入して三兄弟オールキャストで在宅だったので、相方共々死ぬ思いをしました。
発達テストや感覚過敏のテスト、短期間の集中療育を三男坊に受けさせたりして、親として悩みに悩んで、結局、長男坊が卒園した某エスカレーター式私学の幼稚園を受験することにしました。
すごい狭い門ですし、我が家は幼稚園のみで、小学校から先はお世話にならないつもりなので、正直端から見ると『なんで?』な選択なんだろうな、と思っています。
でも、今、長男坊が当時のことを色々と語ってくれるようになって、『整然としたカリキュラムと構造化された園内』が長男坊にとってどんなに助けになったか、そして何よりも彼の知的欲求を満たしてくれる『2万冊の蔵書を持つ図書室』がどんなに心の支えになったかを知り、あえて頑張ってみることにしました。
まぁ、本音を言えば、女子校特有の保護者間のゴタゴタは煩わしいですし、次男坊が特別支援学校に通学していることがどう影響してくるか、という心配もあります。 (長男坊の時に、支援学校に行っている兄弟児がいるご家庭が、幼稚園の父兄に2ちゃんねるや噂話等々でさらし者にされて追い詰められたという事がありました。)
でも、その時は、その時で堂々と対処すれば良いや!と思っていますし、実際にそんなことをする父兄がいるようならば、辞めてしまえば良いや!とも思っています。
つい最近、長男坊の学校でもちょっとクラスメートと揉め事があって、
『次男坊の学校はとっても良い学校だよ!すごい楽しいよ。先生がピカチュウやガチャピンの着ぐるみを着てダブルダッチをやってる全校集会なんて、他の学校にはあんまりないと思う。( ← 次男坊の全校集会に参加してきた)それに、次男坊は僕に出来ないことたくさん出来るよ。すごいんだよ。』
なんて、家に帰って来るなり長男坊が息巻いていました。
でも、長男坊が次男坊を自慢に思っていて、卑屈になっていない、そして長男坊なりに(後日)相手の子と解決出来たというのが一番良かったな、と親としては思っています。
だから、親の私たちも長男坊を見習って、『みんなに言う必要はないけれども本当に判って貰いたい人にだけ必要な時に話せば良い。堂々としていれば良い。』というスタンスを貫くことにしました。
まぁ、こんな事を書いていても、明日の受験で受からなければ仕方がないのですが・・・。
とにかく、頑張ります。 いや、頑張って三男坊の足を引っ張らないような面談を心がけます。(笑)
明日の三男坊受験が終わって、11月半ばにある(長男坊の)自転車レース、昨年3位に終わったロボコンのリベンジ(11月末のロボコン)が終わるまで(長男坊関係)なんだか落ち着きません。 きっと、そのあたりまではBlogの放置プレイは続くのかな・・・?
とは言いつつも、実験やレポート整形、資料収集などの親の助けが必要な科学系のコンテストとは違って、少し時間が自由になるので、ぽつりぽつりと思い出したように記事がアップされるのだと思います。
こんなBlogですが、どうか暖かく見守って戴けると嬉しいです。
明日、応援して下さい! 皆様の事も応援しています! お互いに、前向きな気持ちで邁進して参りましょう! |
||